Close Up Tanazaki多奈崎に迫る
若者文化を支えた「多奈崎フロム」のあゆみ
2024-12-13T00:32:54
多奈崎市中心部に2020年まで存在したファッションビル「多奈崎フロム」。文化・流行の発信拠点として、1986年から中心市街地・水然院(みねいん)地区の中心で営業を続けてきました。しかし、商業環境の変化や建物老朽化などを理由に、2020年5月を以て、その歴史に幕を閉じました。
33年の間、この多奈崎フロムに、そしてこの街にもたらされた変化とは、どのようなものだったのでしょうか。
多奈崎フロムとは?

多奈崎の中心市街地「水然院」地区にあるおよそ90の専門店が入居する複合ビルで、全国に展開するファッションビルFROMの”多奈崎支店”にあたる施設です。
百貨店が高級・年配層向けであるのに対し、FROMは若者に向けた廉価やトレンドに乗った衣料品を多く扱っており、多奈崎の流行の中心として、存在感を表してきました。
水然院という場所

近世、麻見家の城下町としてその原型が形成された多奈崎市。まちの「中心」といえば、多奈崎城からみて南側一体の市街地を指します。まちの商業の中心は、町人たちが多く住んでいた「五船橋町」や「水然院」周辺で、フロムをはじめとする中心市街地の大型商業施設が複数立地。数十年前の本通り商店街は、休日ともなると常に人通りで絶えなかった、と言われています。
フロムの開店とその影響
多奈崎フロムが開業した1986年は、百貨店という業態自体がすでに成長産業ではなくなっていた時代。さまざまな専門店を取り入れたファッションビルや都市型ショッピングセンターと呼ばれる業態が、都心だけでなく地方にも広がってきた時期でした。1994年には多奈崎駅直結の駅ビル「エアリ」がファッションビルの業態で開業。以来、駅前の「エアリ」と水然院の「フロム」が、多奈崎中心部の定番お買い物スポットに。市内随一の大型百貨店・珠屋百貨店までも、ファッションビルに似た専門店街ゾーンである「T: WEST」を設けるなどのニュースもありました。
市内の文化・流行の発信拠点として、フロムは存在感を発揮してきました。2002年の「オスカーズコーヒー」(有名コーヒーチェーン)、2003年の「ミクロコスモス」(ファッション店)、2006年の「キューブスクエア」(都市型ホームセンター。2019年閉店)など、数知れない「県内初出店」の数々はその好例でしょう。
数々のライバル:駅周辺、郊外、そしてインターネット
そんな多奈崎の顔として営業していたフロムですが、2019年の春、翌年5月での閉店が発表されます。開業から33年を迎え、青春時代をここで過ごした多奈崎市民も多いだけに、この発表は地域に衝撃を与えることとなりました。
閉店の要因はさまざま考えられます。自動車の普及や規制緩和により、市内郊外の開発が2000年代ごろから急速に進んだのもその一つでしょう。1995年、多奈崎駅北口から車で5分ほど、インター通り沿いに「サティオ多奈崎ショッピングセンター」が開業、さらに2006年には南バイパス沿いに「サティオモール多奈崎」が約130のテナントを携え開業。中心市街地が南北から挟み撃ちに遭う構図になりました。狭く渋滞し、駐車場も探さないといけない市街地より、車で郊外の広々としたショッピングモールへ!というライフスタイルが急速に定着していきました。
さらに、多奈崎駅周辺の開発の本格化も、結果的に水然院周辺の中心市街地空洞化の一助になってしまった面が否めません。前述の通り、多奈崎の中心市街地は水然院地区であり、駅ビルができたとてあくまで駅は「交通の要衝」の域を出ないと当初は目されていましたが、2017年の新幹線の開業に前後し、駅周辺の開発が急速に進み、市内バス路線のターミナルがバスセンターから多奈崎駅南口への集約や、市民ホールを核とした複合施設「ひかりタワーたなざき」の開業など、新たな中心核として駅周辺が変貌を遂げるに至りました。

結果として、多奈崎市の賑わいの中心は、車で行ける郊外、そして開発めざましい多奈崎駅周辺に移っていきます。さらにインターネットショッピングの台頭により、リアルの売り場がある商業そのものの需要が減りつつあるという状況も加わり、旧来からの市街地である水然院周辺は、当初とは比べ物にならないぐらい、その体力を失ってしまったのでした。
2020年5月24日 午後8時、多奈崎フロムは閉店しました。正面入り口前での閉店セレモニーには、この地で時間を過ごした多くの市民が集まり、その別れを惜しんでいました。
地方都市の「中心市街地」の難しさ
フロムの閉店により、巨大な廃墟が中心市街地に長く鎮座しているという状況が望ましくないということは、誰の目にも明らかでした。当初は後継テナントが募られましたが、築古で耐震補強の必要もあり、時代的に大型商業施設が流行る時代でもなく、玄関口となる駅から遠く離れた立地も敬遠される要因のひとつであり、結局、跡地の建物は解体されることになりました。
古い街ゆえの多すぎる地権者との調整や、後継施設をどうするかという議論が長く続けられましたが、2024年11月、フロム跡地に複合施設「miine」が誕生します。1〜3階の商業施設+シェアラウンジ、そして4階から上のマンションからなる複合施設で、中心市街地への定住人口増と、街の活性化を狙った施設です。

同地に誕生した「miine」ですが、時代の変遷に伴い、フロムとは大幅に異なる構成になりました。商業部分の面積は大幅に減少し、テナントも地元の食物販や雑貨などが中心で、全国系のチェーン店の出店はほとんどありません。
人口減少+中心空洞化という厳しい状況の中で、「miine」がまちにどのような影響をもたらしてくれるか、これからに注目です。