空想都市・多奈崎
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FROM、って?

「FROM」は、この世界で全国に展開するファッションビルです。首都圏の主要駅や地方都市の中心部にいくつかの店舗を構えています。

中心市街地唯一のファッションビル「多奈崎FROM」

そんなFROMの"多奈崎支店"にあたる「多奈崎FROM」は、カジュアルファッションテナントを中心におよそ90の専門店が入居する複合ビルで、珠屋百貨店と共に多奈崎を代表する商業施設として知られています。
高級・年配層向けの百貨店に対して、若者向けの衣料品店を多く扱っており、1986年の開業以来多奈崎の若者文化の発信地として存在感を表してきました。

隣の荘賀県・酒島市に酒島FROMが開業するまで、東日地方唯一のフロムでもあり、その存在は多奈崎市民の誇りでもありました。

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時代の波には抗えず。

そんな多奈崎FROMですが、2019年の春に突如、翌年での閉店が発表されます。
青春時代をFROMで過ごした、あるいは過ごしている多奈崎市民も多く、この発表は地域に大きな衝撃を与えました。数年前には百貨店が閉店を迎えたばかりで、多奈崎の地盤沈下の深刻さが多くの市民の頭に刻まれる出来事でした。

要因は様々あります。
本社が閉店理由としてまず挙げたのが、ネットショッピングの台頭や、それに伴う売上低下です。都市部・地方問わず、実店舗での商品は年々売れなくなっており、商業施設の多くがモノ消費からコト消費へ重心をシフトチェンジしています。

そして、地方都市・多奈崎の宿命とも言える大きな要因…「多奈崎の中心市街地の求心力低下」です。
多くの地方都市がそうであるように、多奈崎市も近年激しいモータリゼーションの波に呑まれつつあります。市の南北を挟むように開店した2つの郊外型ショッピングモール「サティオモール多奈崎北」・「サティオモール多奈崎南」は、車移動を好む多奈崎市民のニーズを−−駐車場を探すだけでも一苦労、な中心市街地と比較するまでもなく−−十分に満たすものでした。郊外型モールの誕生は郊外に消費の需要を喚起し、モールの周辺には家電量販店やファミリーレストラン、大型ホームセンターなどの施設が次々に開店し、消費の中心はすでに郊外に移動っています。

多奈崎の場合、郊外発展の他にもう一つ、中心を脅かす大きな要素がありました。多奈崎駅前の開発が本格化したことです。
駅前が中心市街地とイコールになる首都圏の街と違い、多くの地方都市は市街地と駅は離れており、多奈崎も例外ではありません。 多奈崎では長年、FROMもある中心市街地に中心機能を置き、駅前はあくまで交通の要衝として住み分けがなされていました。
しかし、そうして保たれていたパワーバランスが近年崩れつつありました。多奈崎駅前が「新たな街の顔」として急速に発展しつつあったのです。

最初のきっかけは1991年まで遡ります。それまで中心に比べれば僻地同然だった多奈崎駅前に、JRが駅ビル「エアリ」を建設。 とはいえ当初のテナント数は80程度で、中心市街地の需要を完全に食ってしまうほどのものではなかったようです。

それ以上に、2017年の新幹線開業は一大イベントでした。新幹線で首都とも直結となった多奈崎駅前の価値は急速に高まります。ビジネスホテルやオフィスビル、ウイークリーマンションなどの建設ラッシュが進み、JRの駅ビル「エアリ」は大幅に改装・増築され、約140店舗を抱える市内最大級の都市型商業施設に生まれ変わりました。市側としても、常住人口が減りつつある中で"外貨"を稼ぐ必要があり、交通至便な多奈崎駅前を街の2つ目の核として位置付けるなど、駅前の存在感は確実に高まりました。そしてその勢いは、郊外経済により疲弊する中心市街地をさらに窮地に追いやるには十分すぎるものでした。

多奈崎は、2つの「商業核」を持つにはあまりに小さい都市だった、というわけです。

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FROM亡きあと、中心市街地はどこへ。

FROM撤退により、多奈崎市の中心市街地(もちろん駅前は除いて)からはファッションビルが完全に無くなり、残る大型商業施設は老舗デパート「珠屋百貨店」ただ一つになります。若者向けテナントを多数抱えるFROMの撤退は、市街地の空洞化、少なくとも高齢化には拍車をかけることに思われます。多奈崎の"まちなか"の将来は、いかなることでしょうか…。

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