空想都市・多奈崎
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〜2012
「多奈崎市」誕生前

まずは、多奈崎市が生まれる前のお話を。
実は、7年前…のそれより前から空想地図は描いていました。

小さい頃から、というか、物心ついた頃から、
架空の場所の地図らしきものは描いていました。
記憶の限りを掘り返して考えると、
子供の時分から身の周り…例えば車の後部座席や、自宅の書棚など、
(旅行の多い家だったこともあって)「地図」というものが身近で
親しみがある対象だったのかもしれません。

一人っ子で、暇で親と接していない時間は
自分の時間とイコール。
周りにあった地図や、頭の中の旅行の記憶を
どうにか調理することで暇をしのいでいたのかもしれませんし、
そうした遊びをしているうちにそれ自体が楽しくなったのかもしれません。

しかし、その頃描いた地図はほとんど残っていません。
大方は子供の落書きで、本人も当然それを理解していたため、
そもそもそれを残そうという発想すらなかったものです。

そんな中、比較的大きくなってから描いた「空想地図」の一つが、
画像で残っていました。
多分、中学1年生とかそのぐらいに描いたものです。

おそらく…というのは私がこの地図のことをわずかには覚えているということなのですが、
東雲市」という街を描いていたような気がします。
中央にある大きそうな駅名こそわかりませんが、右下の駅に添えられた字は
確かに「しんしののめ」と読めます。

スマホやタブレットが普及するよりちょっと前、
まだ地図はぎりぎり、紙が主力だった時代に育った私。
特に身近な、道路や建物の色分けが鮮やかで、
さらによく見かけるお店の名前・ロゴが入っているタイプの地図に
非常に影響を受けています。
駅前に堂々と鎮座するビルには「高島屋」の文字。
当時千葉の松戸に住んでいた頃、柏によく出かけたからでしょうか。
(柏で一番存在感のある百貨店は高島屋) 駅裏の「NAPIA跡地」は工場跡地に見えます。近くにはタワマンの姿も。
海沿いに湾岸道路の姿、これは船橋の風景を浮かべていたような気もします。

駅や市街地から遥か遠くにあるパルコなど突っ込みどころはまあありますが、
概ねこうした、日常の風景や市販の地図などを模したり、想像したりしながら
空想地図をたくさん描いてきました。
たくさん描いて、アウトプットすることで、
「現実の街」らしく見える、とはどういうことか、
といった思考実験やそれらしい試行錯誤は、
この頃からしていたように思えます。

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